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- 小松島競輪50年の歩みを紹介 -

- 平成12年発行の50年誌「小松島競輪の歩み」より抜粋 -
小松島競輪50年の歩み

■競輪収益の使途
競輪事業の収益は社会福祉、体育、文教、土木工事などで市財政の健全化のために社会に還元され、私達の生活に大いに役立っています。

昭和 50 年代に入り、わが国の経済も高度経済から低成長時代を迎え、第 1 次オイルショックに続き、昭和 53 年 11 月を境に第 2 次石油危機に見舞われ、昭和 55 年夏以降景気が再び低迷し、本場車券売上額も昭和 54 年度をピークに年々減少し、歳出面では従事員賃金等経常経費の値上がりや、レジャーの多様化により昭和 59 年度には、 152 百万円の赤字決算となった。
競輪局では、これの解消のため昭和 60 年 8 月市内江田町に「小松島競輪江田サービスセンター」(前売場外車券売場)を開所、また始めて第 28 回オールスター競輪(一宮市主催)の場外発売を実施し、売上額増加に努めるとともに正門・西門に自動入場機等を設置し、更には従事員の希望退職 ( 85 名)を募り懸命な努力をしたが赤字解消は、平成元年までかかり非常に厳しい状況であった。
昭和 60 年代は、円高が進み輸出や民間設備投資も鈍化し、景気の行先は不透明あった。

国内景気も昭和 62 年ごろより内需を中心に拡大基調に転じ、景気の回復が遅れた本場にあっても平成 2 年度には、車券売上額が前年対比 16.3 %の増加に転じ、平成 3 年度には四国自転車競技会前東現会長の強い指導のもと四国 5 場による記念競輪の場間場外発売( 1,875 百万円)を全国にさきがけて実施し、大成功を収めることが出来た。
本場における最大のイべントは、平成 6 年度・ 7 年度に実施した「ふるさとダービー小松島」であった。

6 年度には場間場外 28 場で実施、 21,140 百万円の売上げ、 7 年度には場間場外 33 場で実施し、 22,991百万円の売上げ、平成 7 年度の売上額記録は、平成 10 年 2 月の 「ふるさとダービー豊橋」まで破られなかった。

市ではこの収益金の一部で「小松島市ふるさとダービー文化基金条例」を制定し、市民文化学習活動の一躍を担っている。
平成 3 年の バブル経済の崩壊、平成 9 年度の消費税 5 %への引き上げ等は、益々不況の色を濃くし車券売上額が低迷し、平成 9 年度には 2 度目の赤字決算を余儀なくされ、厳しい経営を続けるなか、平成 11 年度には財団法人車両競技公益資金記念財団の補助を受け、市民のコミュニティ活動等に使用することを目的に「小松島サイクルシアター」を新築、また徳島県西部の競輪ファンの利便性と競輪ファン獲得のため麻植郡鴨島町へ「小松島競輪鴨島サービスセンター」(前売場外車券売場)を平成 11 年 7 月に開所し、更には投票業務用機器自動化モデル事業の採択を受け、自動発売機 20 台・自動支払機 10 台を導入し経営の合理化に努めている。
こうして平成 12 年度西暦 2000 年は本場にとって開設 50 周年という大きな節目を迎え、数多くのファン、関係諸団体、報道関係者等に支えられながら幾多の変遷を乗り越え、長引く不況による車券売上額の低迷が続くなか、 21 世紀の始めには第 3 回目の「ふるさとダービー小松島」を開催する運びとなり、新世紀に相応しい門出となったのである。

1950年〜1954年 昭和20年代

平成12年発行の50年誌「小松島競輪の歩み」より抜粋
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